すれ違っただけのコカ・コーラマンをボコボコにする

コカコーラとかのお兄さんってなんであんなイケメン風な若い男の子ばっかりなんだろうね?

 

僕なりの解釈ではアレも一種の企業戦略で、若くてスラッとした色黒の青年が

作業着とは言えないようなビビットな発色のユニフォームで汗ばんだ肌を見せつけながら、重たい飲料を一生懸命運ぶ姿が一種の宣伝になっているんじゃないかと見ている。

必ずオリンピックやワールドカップの協賛企業に名を上げるのと同じだよね。

飲料メーカーは爽やかでスポーティなイメージがいつだって欲しいわけ。

 

だからこの前やたらくたびれた40半ばぐらいのコカコーラマンが、飲料を満載した台車にもたれかかるようにして仕事してる姿を見て違和感を覚えたんだろうな。

 

誤解して欲しくないのは彼は一生懸命職務を全うしていた。

ただ身体が追いついていないのだ。

 

明らかにそのドス黒い顔色と大きなクマは彼の限界を知らせていたわけで、だけど本人は気づいているのか、気づかないほど疲れ切っているのかはわからないが虚ろな目で飲料を運んでいる。

果たしてこれは彼にとって本当に正しいことなんだろうか?

他に選択肢はなかったんだろうか?

そんなことを思ってしまった。

振り返って自分はどうかと問えば、着実に彼と同じコースを寸分の狂いも無くトレースしている、そう感じる。

 

終わってみればで言うことだが、20代ってのは儲け方を探す時期だったんだと思う。

世の中には色んな金の儲け方がある。

その様々な金の儲け方をがめつく、したたかに、貪るようにトライアンドエラーすることが許される時期だったように思う。

 

新卒で入った会社で右も左もわからずに上司からの指示やノルマを必死にこなすのもいい。

だけれどもそこに自分なりの野望が無いと何の意味もない。

 

「上にはバカしかいないし、さっさと偉くなれば好き勝手やって金も稼げる」

「最終的にAになるために今はこの会社のこのノウハウを盗む、終わったらB社」

 

そのぐらいの野心が無いと誰かが作った儲ける仕組みのパーツのまま、ただ磨耗していく。

僕がすれ違ったコカコーラマンや、今の僕はそれに気づけていなかった。

30歳過ぎたら行動した分の利益がキチンと自分に返ってくるような仕組みの中で働かないと何の意味もない。

仕事や世の中は『がんばったで賞』をくれる先生じゃない。

 

がんばったでしょう、

よし、もっとがんばれ、

ボロボロになるまでもっとがんばれ

 

一種の信仰のように「頑張っていれば誰かが見てくれる」なんていうのは、ハッキリ言って甘えてるし、ただの思考停止だ。

誰に見せるのかぐらい、自分でハッキリ規定もせずに頑張れるような、キチンと調教された都合のいい人間にわざわざ自分の取り分回さないよな。

日本人よ、なんて言うほど世界を見たことがないから何とも言えないけど、

労働や清貧が美徳みたいな価値観が見える掌にしろ、見えない背中側にしろ、少しでも張り付いていると感じる人に言いたいのは

したたかになることに許可を与えてもいいんじゃないか、ということ。

したたかにうまくやれる方法が見えている、わかっているのに押し殺している人っているよね?

自分のそういう部分に白とか黒とか色を付ける前に、存在してもいいもの、伸ばしていっていいもの、という許可を与えないことには始まらない。

 

したたかになるというのはよく考えているということ。つまり効率化だ。

したたかさを悪としてしまうと、結局無思考無判断の思考停止でがむしゃらに他のために働くことが善になってしまう。

しかしそれは非効率を強要する暴力とも言える。

「自分も必死にやっているんだからおまえも同じようにしろ!なぜやらない⁈」

これはれっきとした態度による暴力だよな。

 

したたかになろう。

よく考えよう。

自分の儲ける仕組みをMAKEしよう。

 

それを忘れてもっともらしい事を言う人に振り回されて20代を終え、

30代で自分に何の利益ももたらさない仕組みに尽くしたところで

待っているのは磨耗して交換待ちのパーツとしての労働です。

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